じぶんインタビュー

10年おきの人生の“ジャンプ”が、
いまいるところに
連れてきてくれた

小林博之(こばやし・ひろゆき)さん

株式会社ソーシャルキャピタルマネジメント 代表取締役社長

1965年東京都生まれ。1987年東京大学法学部卒業、カリフォルニア大学バークレー校経営大学院修了(MBA)。日本興業銀行、みずほ証券にて、M&Aアドバイザリー部長、経営企画部副部長、コーポレート・コミュニケーション部長、リテール部門戦略企画担当部長、ウェルスマネジメント本部長を務める。2017年にみずほ証券を退職し、ソーシャルキャピタルマネジメントを設立。複数の企業の社外役員等を兼任するほか、大学院等で講師を務めている。
座右の銘は「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり」

open_in_newソーシャルキャピタルマネジメント

10年おきのジャンプ。3回目で独立・創業

小林さんは、いわゆる、誰から見ても申し分のないご経歴、ですよね。ご自身で振り返ると、実感としてどうなのでしょう。

小林さんはたから見ると順風満帆だと思われるでしょうし、確かに、大きな挫折のようなものはないかもしれません。でも、水鳥みたいなもので、水面上はスイスイ泳いでいるようでも、足はバタバタ、必死に漕いでますよ。

バタバタと?

小林さん振り返ると、社会人になってから10年おきに、いままでとまったく異なる環境に身を置く、“ジャンプ”のときがありました。最初のジャンプは、30歳、日本興業銀行時代の海外留学です。次は、40歳、みずほ証券をいったん辞めて、知人が起業したベンチャー企業に入ったとき。これはその後舞い戻っていますけどね。そして3回目が52歳、大企業のサラリーマン人生から独立して自由人になったとき。計画していたようなキャリアチェンジではありませんでしたが、どの経験もいまに生きています。

計画せずに、ここまできた。

小林さん計画とか目標とかは立てない主義なんです。そこにとらわれるのが嫌で。そもそも最初のジャンプは、厳しい上司のもとを逃れたい、というのが動機で、計画以前の問題でした(笑)。

逃がれるために留学したんですか(笑)。

小林さんそう。会社の人事って、希望通りにいくものではないので、どこかに移りたいと思ったときに、使える制度が海外留学生制度しかなかったんです(笑)。そんなことで留学生試験を受け、カリフォルニアに飛びました。結果的には大正解で、人生においてかけがえのない2年間になりました。

それはよかったです(笑)。2回目のジャンプのきっかけはなんだったんですか?

小林さんアメリカの大学で学びMBAを取ったことで、戻ってからはM&Aに関わる部署で以前と異なる仕事をするようになりました。10年やって、非常にやりがいのある仕事だったんですが、相当に頑張ったので、なんかやりきった感が出てきちゃったんですね。そこで中高の同期が経営するコンサルティング会社に転職して、共同経営者的ポジションに就きました。さまざまな企業のコーポレート・コミュニケーションを支援する会社です。この経験をしたおかげで、WebやCSRなど、ぜんぜん違ったものに触れることができました。と言いつつ、また2年でみずほに出戻りましたけど。

出戻りというのは、割とあることなんですか?

小林さんいえ、日本企業で、大企業で、しかも金融、というと、当時としては非常にまれでした。その意味では、人事部の方々にも大変お世話になりましたし、お力添えいただいたうえで迎え入れてくださったものと思います。みずほ証券にはそこからまた10年以上、独立するまで在籍しました。ライフシフト、人生100年時代ですので、新しいキャリアをつくっていくには、またジャンプするタイミングかなと、3度目のジャンプをしていまに至っています。

留学後の自分は別人!人間は、変われる

なんというか、身軽ですよね。こともなげにお話しされてる印象も受けます。日本の大きな企業にいると、もっとこう、守りに入るようになるイメージがあるのですが。

小林さんでしょうね。ジャンプするたびに、新しい世界観に触れ、新しい人たちとつき合うようになり、そこから自分自身も変わっていった、ということでしょうか。ぜんぜん異なる領域の人たちと出会えたことで、柔軟になれたのだと思います。何かに凝り固まった姿、というのはアメリカ留学以降はなくなりましたね。

アメリカでどのようなご経験をされて、それほど変わったのですか。

小林さん留学した先がアメリカの中でもリベラルなカリフォルニア。しかもその中でも最もリベラルな雰囲気で知られるUCバークレー。学生も住んでいる人たちも本当にフレンドリーだし、「なんでもあり!」という感じですね。常に笑顔で、おおらかで、オープンで。あんなふうでいいんだ、もっと気楽に生きていいんだと、楽になっていきました。あちらでの生活は同時に、結局人との関係が一番大事なんだと、はっきりと思わせてくれたんですね。

アメリカに行かれる前の小林さんはそんなふうではなかったのですか。

小林さんいやー、ぜんぜん違いましたね。

そんなに明確に、ですか。

小林さんはい。それ以前の私を知る人からすると別人ですよ。自分でもそう思います。柔軟とは程遠いタイプの人間でしたから。

お堅いタイプだったということですか。

小林さんそうそう。クソ真面目で、勉強だけはできるけど人間的につまらない人間でした。同期の間でも呼び捨てにされずに「小林くん」って呼ばれてましたからね…。それに、入社して5年目くらいまでは、後輩を怒鳴りつけたりして、キレたりすることもしょっちゅう。ゴミ箱蹴飛ばしたり、受話器を投げつけたり。いまなら十分パワハラですね(笑)。

えええっ……、いまの小林さんの印象からは想像がつきません。

小林さん「キレコバ」という異名をとるくらい、よくキレてました。

えーー、触るな危険、じゃないですか!

小林さんあはは。そんな私が、カリフォルニア生活を経て、180度と言っていいくらい変わりました。そのあとタイの案件を手がけた際にも、厳しい局面でも常にニコニコ仕事している人たちに接して、「これでいいんだよなぁ」と、一層思うようになりました。そのような経験を経て、みんなが楽しく仕事できることが一番だと、どうしたらそうできるか、本気で考えるようになったんです。だから言うんですよ。人間、いくつになっても変われるんだって。40過ぎたら人は変われないとよく耳にしますけど、そんなことはないです。40歳でも50歳でも、変われます。

確かに、「丸くなった」レベルではない変わりようかもしれませんね。周りの人にとっても幸いでしたが、なによりご自分にとってよかったんじゃないですか。

小林さんその通りですね。あのままだったら大変なことになっていたと思います。

2018年に、思い出深い母校バークレーを訪ねたときの一枚。

人のHappinessに、自分の働きを活かしたい

いまはかなり充実しているようお見受けしますが、3回目のジャンプで独立されて現在4年くらいでしょうか、ずいぶんいろんなことをなさっていますね。

小林さんもともと縛られずいろんなことがしたくて起業したので、望むところではありますが、いまの仕事の中で7割くらいは、起業したときに想定していなかったような業務分野です。

中身はどのような?

小林さん大学院の教員をやったり、企業研修で講師をしたり。起業するにあたり、経営に関わるコンサルの仕事がメインになると思っていたので、これほど教える仕事が増えたのは想定外です。それでも、「目指す姿」とか「やりたいこと」とかに固執せず、人に期待されたことをやるのが自分にとっても喜びなんだ、と納得しています。

やりがいを感じていらっしゃる。

小林さんはい、非常に。大きなテーマとして私は、人のうれしさ、楽しさ、つまりはHappinessに、自分の働きを活かすことが、自らも一番心地よいんですね。頑張っている人たちがいきいき活躍できる場を、もっともっと増やしたいという思いが強いです。いまは特に、女性と若い人に対して。従来の男性社会は制度疲労を起こしてますよね。女性や若者のリーダーが増えたほうが、世の中明るい方向に進むでしょう。現在10%ほどの経営者の女性比率が、50%になったらいいなと本気で思っています。

open_in_new 跡取り娘ドットコムで、女性経営者の事業承継をサポートしたり、ソーシャルキャピタルマネジメントの事業として、SDGsの推進支援を柱のひとつに据えていらっしゃることへの思いとつながりますね。

小林さんSDGsは本当に好きな分野です。これには前職のときに、CSRに携わった経験が大きく影響しています。会社の存在意義を真剣に考える契機になりましたから。儲けるのとは関係のないところで社会課題に向き合う、NPO、NGOの人たちの情熱に触れたのは大変な刺激になりました。私自身もボランティア活動に参加するようになって、多くの企業人が関わるチャリティプロジェクトの事務局もやったのですが、見ていて感心するほど当事者意識が高く、皆が労を厭わず主体的に動いてるんですよ。「やれと言われた仕事」よりも、「自分が役に立ちたいと思う仕事」の方が、強く素晴らしいものになるんだと教えてもらいました。

そのように受け止めて、アクションに移すことのできたのがまた、小林さんの柔軟さなんでしょうね。

小林さん企業は社会への貢献を最大化するべく利益を上げる。そのためにも、働く個々人が楽しんでやれたほうがいいんですよね。楽しく働ける環境の整備も、経営側、働く側の意識の醸成も必要です。日本の会社の社員って、モチベーションが低いとか、働きがいを感じられないとか言われますよね。もったいないです。一日のかなりの時間を費やすのですから、楽しく明るく前向きに。そう思えるだけで良い仕事ができて、Happinessが循環する社会や組織になるんです。

「Cool Head, but Warm Heart」の言葉を思い起こさせる方。穏やかで落ち着いた口調には、かつての「キレコバ」の影は感じられない。

楽しみながら、「こばひろ」流に

小林さんいま私がこんなふうに仕事ができているのもすべて、3回のジャンプを経ながら、得意分野を増やせたおかげなんです。いくつかの得意をかけ合わせて、強みにできている。その都度異なる属性の、多様な人たちと交流して、学びを得られたからでもありますし、SNSというツールが世に生まれたおかげで、つながりが保てるようになった幸運も重なってのことです。

でもこうしてお聞きしていると、カリフォルニア以前の旧小林さんはさておいて(笑)、やっぱり人が好きなんですね。

小林さん好きですね。20数年前に、人との関係が一番大事なんだということに目覚めたのは大きかったし、正しかったです。コロナ前は週に7回飲むなんてこともしばしばありましたよ。

週に7回!?

小林さん平日5回に加えてランチビール2回です。酒が好きというのではなく人が好き、ということ。でも翌朝電車で寝過ごしたりして…そのたびにFacebookに乗り越した駅の写真を載せると、友だちから反響が(笑)。

あはは。特に大きな組織を出てみると、人との関係の大切さを実感するシーンが多いのではないですか。

小林さん本当にそうです。もう大手の看板を背負ってませんから、まずは人として信頼していただけるかどうかがすべてです。

大変なこともあるでしょうけど、小林さんの座右の銘は確か、「なせばなる なさねばならぬ なにごとも……」

小林さん「ならぬはひとの なさぬなりけり」です(笑)。現在の山形県米沢地方、江戸時代の米沢藩の、上杉鷹山公の言葉ですね。亡き母の実家が米沢で、公園にはこの言葉が石碑に刻まれているんです。なので子どものころから、意識のどこかにずっと残っているのかもしれません。「できません」ではなく、どうしたらできるか考えるのが習慣になっています。

目標は立てない主義とお聞きしましたが、これからも「なせばなる」の精神で。

小林さん自分で制約を設けず、その都度、どうしたらできるか、どう役立つことができるかを考えて、楽しみながらやっていきたいです。流れに身を任せて、人に頼られることを仕事としていく。しなやかに生きていくのが「こばひろ」らしさでしょうかね。水面下ではバタバタしても。

思いを共にする人たちでつくったコミュニティ、「ハピネス循環研究所」。「Give & Give の精神で楽しく関わり合うことで、ハピネスが循環する社会をつくりたい」との思いでつながっている。
よく仕事場にしているという渋谷のカフェ。「ここのプリンアラモード、おいしいんですよ」と、うれしそうに写真を見せてくれた。まさかのプリンアラモード(笑)!

編集後記

みずほ証券をお辞めになるとき、当時の顧問の方に呼ばれて年齢を聞かれ、「52歳です」と答えると、「じゃあ、あと3回は失敗できるな」と笑顔で言われて、肩の力がふっと抜けたとのこと。いいお話だと思いました。
以前、マラソンのメダリスト、有森裕子さんにインタビューさせてもらったとき、「すべてを意味のあることとして力に変えていけば、人生に“失敗”なんてなく、それは“経験”」という趣旨のお話がありました。小林さんは、まさに有森さんがおっしゃるように受け止めているのではないか、だからどれも、「いい経験」としてお話しされるのではないか。そんなことを考えました。

(2021年1月インタビュー)

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